F a t h e r

父について



私にとって父親という存在は何なのだろう?

高校を卒業してそのまま東京に上がり、この邦楽の世界にドップリ

浸かって早や22年、昔を思い返してみると父は母と私たち子供4人

を抱え、必死の思いで生活しまた、人生の勝負を幾度となく繰り返し

て生きてきた人だったように記憶しています。


子供のころは親の苦労など微塵も分からず、ただただ甘える

ばかりで(子供なのだから当たり前で、分かってたらそら恐ろしいけど・・・)

親が甘えることを許してくれていたんだと大人になってから気づき

(アホやなぁとツクヅク関心する今日この頃)

それがため?に感受性に乏しい子供だった様な気が・・・・

まあ、それはさておきとにもかくにも感謝感謝です。


東京に出てからも両親には迷惑の掛けっぱなしで

自力で生活出来るようになったのが、それから4年後でした

それでも生活の安定は計れず実家に帰ってはお小遣いをもらう始末

そんな時にあるテレビ番組で25歳を過ぎた男がまだ親のスネを

かじってるなんてなに考えてるんだかと言われ、ちょうどその頃

私は25歳でしたからそれがショックで落ち込んだものでした。

(身体がちっちゃ〜くちっちゃ〜〜くなったのを覚えています。)

それでもバカは死なんと分からんと申しましょうかまだ、生活の安定

が計れない始末でした。


そうこうしているうちに父が倒れ、やっと本気になって生きていくことを

実感したように思います。

そのときは軽い脳血栓でしたので大事にはいたりませんでしたが

やはり5年後が危ないと言う説が当たり、脳血栓が再発

それ以来父はしゃべることも立つことも出来なくなってしまいました。

それからは父と母とで病気に立ち向かい、それこそ真剣勝負だったのでしょう。

母は自宅で父の看病をし、どうにもならない事態が起きたときだけ

病院へ入院するようにしてました。


これは、絶対と言い切ってもいいと思いますが、病人のことを本当に大事ならば

身内が診るべきです。

身内でなければ本人の気持ちを察することなど出来ません。

まして、しゃべれないとなると尚更です。

何をされても言えないのですから、こんな恐ろしいことがあると思いますか、


広島へ帰郷した時、父が入院していた老人病院へ見舞いに行った

のですが、その折ある看護婦さんがここへ来る人はもう死にますからと

父の聞こえるところでおっしやったのです。

もちろんそれを聞いた父は大泣きなんてもんじゃない、泣きに泣いて

いました。当たり前です、無神経にもほどがある、それでなくても

次々とベットから人が居なくなるのを見ているのですから、


それから、父が入ったこの病院は食事を取れる患者でも食事は

取らせず点滴だけのようでした。

とうぜん私の父にも点滴だけですのでこれには母が怒り、たとえ

先生が何を言おうと看護婦さんが何を言おうと食事だけは取らせました。

ただし食事といっても食べ物を全部すり潰しスプーンで食べさせる程度ですが、

しかし、点滴だけの人はだんだん痩せてゆき、父はだんだん太っていったのです。

それでも食事はだめだとおっしゃいます。何故だと思いますか、

病院の仕事が増えるからです、人の命ってそんなものでしょうか?


まして、自分の身内に対してそんな風にされて黙っていられますか

でも、黙っていないと後でもっとひどい目に合わされるかも知れません

私たちはそれを覚悟しなければならないのです。


それから父は、しばらく入退院を繰り返し他界することになります。

父は両脇に大きな氷を抱え、熱のために身体を震わせ苦しんでおり、

それは人生の本当の終局に向かっている時なのだと後で知りました。

それを知っていれば、聞いていればもう少し父のそばに居たのに

と悔やまれてなりません。

母は知っていましたが私たちには伝えてくれませんでした、

それも親心かと思えばありがたく感謝できますが・・・・・・


そして、7月7日の午後6時ごろだったと思いますがこの世を去りました。

母と私たち兄弟は夕方近くまで病院にいたのですが

一度家へ戻り用事を済ませてからもう一度病院行こうということになり

母を残して私たちだけで移動し病院へ戻ったときには、

父は亡くなっておりました。

なんとま抜けな、父の最期を子供として見取らなければならないのに

私たちはただただ呆然、そして溢れそうになる涙を必死で押さえ

父の側へ行って「80年間本当にお疲れ様でした、

母ともども私たちを育ててくださって本当にありがとうございました。」

と心で念じ、・・・・・・・・・・・


そしてもう一つ感謝の言葉を送りました。

「死に目に会わせないように行ってくれて、本当の寂しさ、悲しさを

味あわせないようにしてくれてありがとう」 と、伝えました。


私にとって父親というのは、いえ親というのは世界でたった二人

だけなのだ、そして親に勝るものはないと言うことを父親の生き様

を通して教えてもらったように思うのです。


世の中には親より大切な人を持ってらっしゃる方もいると

思います、

自分がもっとも信頼する人の人生や生き様を見ることが出来れば

とても幸せなことではないでしょうか。


私はこれからも信頼する人の人生や生き様を見てゆこうと思っています。

また、見せていただきたいと願っています。